2016年1月2日土曜日

Gürwitsch, The Perceptual Process (1962)

Aron Gürwitsch による表記の章は、The Field of Consciousness (1962) の第IV部(知覚の現象学的理論)の第I章です。1957年にすでにフランス語版として出版されていたものの英語版です(序文によると、本書の草稿はHusserl のいくつかの著作の出版に先立って1953年に完成しています)。本章は、主として、Husserlの Ideen (Vol.I), および Cartesian Meditations のいくつかの主要な議論に沿って、事物の知覚過程(複数の知覚が、同一的事物の射映的(perspectival)諸知覚として総合されるという過程)の基礎的構造を描いたものです。
  Husserl とともにGürwitsch は、知覚過程を自然的世界内の対象(心理的過程)ととして分析せず、把握される意味の解明の観点から分析します。いいかえると、それは、知覚という心理的過程を「自然界のなかで起こる諸事実」として分析するのではなく、「自然界のなかで起こる諸事実を人が認識する」ことの注意深い再了解の試みです。後者の試みの意味は、第一に、どのような対象も認識されなければ意味をもたないからであり、第二に、対象のどのような認識も対象そのものをその内容とするものではないという事情から生じます。したがって、それは、心理的過程ではなく、むしろその合理的理念たる理解可能性(accountability)を解明しようとするものとして、社会学的行為理論の現象学的変種という観点から読むことができるでしょう。
 実際、GürwitschとSchütz は、文化ないし社会科学の方法論的基盤を合理的に再構成しつつ批判するためにこの問題に取り組みました。この議論は、Husserl にも従い(Ideen §152)、理念的、想像的、自然的、社会的というあらゆる対象「領域」について成り立つものとされており、また、現実的、仮定的、理論的、美的その他さまざまな志向様式について、成り立つことをめざしています(p.214)。Harold Garfinkel の Ethnomethodology は、かれらの試みを引き継ぎ、通常的言語に媒介される集合的行為の成立と維持の合理的解明を研究主題としています。本章は、ethnomethodology の主題と方法が、現象学の社会学的次元への展開として理解できることを示唆するものです。
 その場合、つぎの点が興味を引く点となると思われます。
(1)意識過程(ないし実践)と現実の相関性。本章で説明される種類の現象学は<人々に通常的に把握された現実>を対象とする議論であって、その対象を<人々による把握作用>と<把握された産物としての現実>の両者の相関としてとらえるものであること。(p.195) これは、現象学的探求の目標にとっては、いかなる主観的意味(ここで「意識」とよばれているもの)も、その相関物としての現実と切り離されてではなく、それともに分析される必要があることを意味します。この相関性は、この種の分析が理解可能性とその媒体としての言語に照準するものだとするならば、意識とは現象学的に記述されたものであり、現実とは自然的態度によって記述されたものと言えるでしょう(二つの記述のあいだの関係が問題にされる)。
(2)単一的把握作用の通常的不完全性。その対象を注意深く観察すると、たとえ通常の意味での自然的事物であっても、その有意味な把握は、単独の把握作用をつうじてではなく、複数の構造化され統一性をもつ諸作用によって、不断に達成されているとわかること。たとえば、よく言われるように、「『山』がある」と言うとき、人々は、「『山』を見ている」ということだけでなく、「『山』の見えない側」も、違った視点からは、見ることができる」ということを、すくなくとも可能性として(そのような視点から観察する他者がいたり、その人からの報告を受けたり、自らをその視点に移動させるなどの、ある延長線上にある、無数の可能性とともに)受け入れていること。(p.208)
(3)内在的な超越論的組織性。通常の意味での対象の把握をになう統一的な知覚過程は、内在的に(つまり、それ自体として十全かつ適合的に)、人々による把握作用とその産物の複数の組を、一貫性のあるまとまりに保つための諸条件(それらは個々の知覚作用の産物を超えるものを知覚するという意味で「超越論的」とか「構成的」とよばれる)によって規制されていること。(p.204)
(4)時間的開放性。とくに限定されない限り、意識される現実は、つねに新たな把握作用によって更新され、さらなる把握作用による修正、変更、取消などの可能性をもっていること。ただし、これはそうなる実質的な理由が発見できるという意味ではなく、そうなる可能性があるというに留まること。(p.206)
(5)Gürwitsch によれば、(3)の問題を物質的事物の知覚を端緒として解明するための手がかりとして、ゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト的結合」の概念が手がかりになること。この手がかりから発展するかれ自身の現象学的分析は、次章以下(第IV部第II章〜第VI部、結論、および続編 Marginal Consciousness )で展開される。(p.210)
(6)意味解明の方法論的基礎と領域的理念。いかなるカテゴリーのものにせよ対象の終局的解明とそれらの存在の具体的意味の終局的な説明のためには、問題のカテゴリーの対象に関連する「意識における相当物 equivalent of consciousness」を参照しなければならない(Husserl, Ideen, p.319)。この相当物の内的構造を検討し、解明しなければならない(Husserl, Cartesian Meditations, §29)。単一の諸行為の記述と分析のほかに、われわれは、これらの諸行為を、それらの目的論的機能の観点から考察しなければならない—すなわち、それが組織されている体系的な群のなかでの役割、またそれにむけての寄与についてである。(p.218)
(7)分析の目的。「現象学的理念主義は、この世界の真の存在を否定しない。その唯一の課題は、この世界の<意味>を明晰化することである。この世界が存在することについて疑いはない。しかし、われわれはその不可疑性(indubitability)を理解しなければならない。」(G. Berger)(p.216)

Reference:
Aron Gürwitsch, "The Perceptual Process," in his The Field of Consciousness: Phenomenology of Theme, Thematic Field, and Marginal Consciousness. Edited by R. Zaner and L. Embree, Springer, 2010, pp. 195-219.




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