2013年5月3日金曜日

Florian Znaniecki, SOCIAL ACTIONS 1936

 4月23日と30日のEMCAセミナーでは、表記の著作の第2章と第3章を取り上げました。前書き(VII-XIV頁)に依拠して、本書の成立を中心にして述べます。
  周知のように、W.I.Thomasとの共著「ヨーロッパとアメリカのポーランド農民」は、社会学理論上は、社会学の対象を人々の「価値」(value)と「態度」(attitude)ととらえ、その変化の原因を探求するとともにそのようなものとしての社会学研究の範例を作り出そうとする試みでした。Thomas とZnaniecki の当初の理論では、価値は文化の達成されたパターンであり、態度は価値に対して個人や集団が発達させる創造的志向性です。なおZnaniecki による体系化はかれの最初の英語の著作であるCultural Reality 1919にあります。この段階では、人間的文化の世界でおこる社会的変化は、価値と態度の組み合わせにより、因果的に説明可能であると考えられていました。
その後、著者はさまざまな態度のリストを拡張し、その一方で、社会的相互行為を他の心理的行為から厳密に区別していこうとしていました(後者は、宗教、経済、技術、芸術、知識などに関わる諸行為です)。そこでは、著者は、「人間の社会的行為の全体的多様性が、少数の永続的かつ基本的な心理学的力—本質的な態度、欲望、願望その他諸々—から演繹されなければならないという想定を廃棄しようと試みた。」(Social Actions, VII) そして、「諸行為がそこから生じてくるとされる心理学的源泉に関するアプリオリな諸想定を用いずに、諸行為を、その経験的具体性と多様性においてとらえ、それらをそのようにあるがままに整序すべきではないのか?(Why not take those actions in their empirical concreteness and variety, and try to order them such as they are, without any a priori assumptions concerning the psychological sources from which they spring?)」(ibid. Emphasis is original)と考え、発見的概念を構成して、「そこで、この変更された観点を、当初は諸行為の体系的な記述と分類にではなく、諸行為の変化の因果的説明に適用することを試みた。(I therefore applied this changed point of view at first not to a systematic description and classification of actions, but to causal explanation of their changes.」(ibid. Emphasis is added by me)その成果は、1925年に発表されたLaws of Social Psychology(社会心理学の諸法則)でしたが、「不幸なことに、それらの概念は決定的なテストを可能にするほど十分に厳密でなかった。私が、まだ、傾向性が行為の一要素であるという心理学的観念にとらわれていたためであった。(Unfortunately, those concepts were not sufficiently exact to permit decisive tests, for I had not yet gotten rid of the psychological idea that the tendency is an element of the action.)」(ibid)「態度」という語のもつ心理学的連想をさけるために、著者は、このときまでに、文化的リアリティにかかわる行為者の主観的志向を意味するものとして「傾向性」(tendency)という語を使用するようになっています(本人による表明として、1939年の批評会議に寄せられたZnaniecki's comment (Blumer 1979: 93)があります)。
 このように、本書は、社会学の対象を「態度」ではなく「そのようにあるがままのものとして」とらえられた行為とし、その観点を「諸行為の体系的な記述と分類」に適用しようとした作品です。A.W.Rawls は、Harold Garfinkelが1939年に社会学への志を抱いて進学したUniversity of North Carolina時代に本書を読んだとしてつぎのように書いています。「ポーランド農民の研究ではなくて、Znaniecki の『社会的諸行為』が、行為者の観点に関する正統的テキストだった。ガーフィンケルによれば、ズナニエツキは、社会的行為の適切な記述についてやかましく主張した最初の人だったという」(Rawls 2002:13)。Znaniecki の努力は、心理的現象の流出としての行為という本質的に常識的な行為記述を廃棄し、社会学の正当かつ適切な基礎的対象となるべき「行為というリアリティ」の厳密な記述を可能にすることに向けられていました。Garfinkel は—おそらく同時代の大多数の社会学者—H.Blumer のような—とは異なって、本書の以上のような理論的価値を正しく理解し評価したのでしょう。

 本書は、その時点までに公表されていた種々の社会的現象についての著作を素材に、社会的諸行為の分類学 taxonomyを展開したものです。本書が展開する社会的行為への記述体系は、T. Parsons のものとは非常に異なっています(しかし、Parsonsもまた、社会的行為の構造(1939) の序論と結論での Znaniecki への言及などから見て、それをかなり正確に理解していたように思われます)。主な特徴としては、(1) 社会的行為が、他の人間や集団・組織に影響力を行使しようとする意識的行為を中心にとらえられていること、(2) それが文化的対象の世界で展開される創造性をもつものとして—この創造性は、宗教的その他の社会的行為以外の行為も共有している—とらえられていること、があげられるでしょう。

 Florian Znaniecki は、1882年1月15日ポーランドに生まれ、 第1次世界大戦開戦直前の1914年から19年にかけてアメリカでW.I.Thomas とともにアメリカ社会学の古典と言われる The Polish Peasant in Europe and America (ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民)を執筆・出版したことによって最もよく知られています。1920年から39年は新設のUniversity of Poznań で社会学教授職につき、ポーランド語の社会学書のほか、The Laws of Social Psychology (社会心理学の諸法則) 1925 、The Method of Sociology (社会学の方法:和訳あり)1934、および本書を英語で出版します。1931-33年にはColombia University ほかのアメリカの大学で講義し、1939年に2度目のアメリカ講義旅行からの帰国中に第2次世界大戦開戦のため、アメリカに戻りUnibersity of Illinois in Urbana-Champaign 教授となり、社会学基礎理論、方法論のほか、教育、知識人、リーダーシップ論などにわたる多くの著作を発表し1950年に退職、1958年3月23日に同地で死去(Dulczewski 1994) 。

References:

  • Znaniecki, Florian 1936 Social Actions. Farrar & Rinehart: New York.
  • Blumer, Herbert 1979 Critiques of Research in the Social Science: An Appraisal of Thomas and Znaniecki's The Polish Peasant in Europe and America. Transaction Books: New Brunswick, NJ. (Republication of 1939 with a new introduction by Blumer).
  • Rawls, Ann Warfield 2002 Editor's Introduction. In Harold Garafinkel, Ethnomethodology's Program: Working Out Durkheim's Aphorism. Rowman & Littlefield: 1-64.
  • Dulczewski, Zygmunt 1994 Florian Znaniecki: Life History. In Florian Znaniecki, What Are Sociological Problems? Wydawnictwo:Nakom & Poznań: 231-246





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