2010年10月20日水曜日

Sudnow "Normal Crimes"

先週のEMCAセミナーでは、David Sudnow "Normal Crimes" を取り上げました.以下は、その内容と議論とリアクションについての簡単な覚え書きです.

(1) 本論文は、公設弁護人による"normal crimes"という概念の使用を綿密に分析しています.まず、この概念は、公式の犯罪概念と異なる内容のものであることが注意されます."A normal crime" の概念は、公式の犯罪概念と同じ対象(犯罪事実)に対して適用されるものであって、その地域、その日時において、「通常に起こるたぐいのものである」ということを見いだすために作られていますー個々の normal crime の概念は、その地域における法の実務の歴史と経験とを総合的に反映するものですから、一般的に内容を述べることはできません.形式的には、"normal crimes" は、犯罪とされる行為の行為者のカテゴリー、被害を受けた対象(人、建物、物品など)のカテゴリー、地域のカテゴリー、時間のカテゴリーなどを用いて記述されるという特徴があります.

(2) 本論文は、この"normal crimes"の概念が、いかにその使用者の作業場面と関連しているかを説明するために、この概念が弁護人の仕事(答弁取引)のなかでいかに用いられるかを、観察やインタビューのデータによって検討します.著者は、この概念が、弁護人のもつ日常的で職業的な、犯罪・犯罪者への態度(たとえば、有罪を事実上推定すること、被告人とほとんど会わずに代理を行うこと、複数の公設弁護人が交代で代理を行うこと、等々)を反映しつつ、そうした態度を相互行為へと組織する(有罪答弁取引を効果的に行なう)ために使われていることを指摘します.

(3) 最後に、本論文は、人々が使用する概念を修正せずに研究の対象にすることにより、人々の職業的活動と法との関連性に新たな角度から観察と理解の光をあてることができるということなどを指摘します.

この論文は、初期のエスノメソドロジー研究が一般に職業社会学的な問題に真剣な関心を抱いていたことの一つの例証です.著者の病院研究 Passing On: The Social Organization of Dying と分析視角の共通性も感じられます.しかし職業上の諸変数にやや安易に説明をもとめているところがあるかもしれません.この点について、EM/CAの研究は、しばしば、言語や行動を綿密に分析するが、結論において、通例的社会学の概念による説明とあまり違わないものになるという印象があるとの指摘がありました.

そうした不満があるとしても、本論文の主張のひとつは、"normal crimes"という表題が、単なる皮肉な社会学的表現("通常な+異常なもの")にとどまらないというところに現れていると私は考えます.公式の法的概念は、個人や集団によって解釈された仕方に従って社会的に有意味な作用を果たすという考え方(これは、公式法的概念や法解釈学的概念の代わりに、「ホワイトカラー犯罪」のように、社会学的概念を用いるという説明方針にしたがう立場)のほかに、公式法的概念や法解釈学的概念が社会的に有意味に作用するさまざまな仕方があります.そのような仕方は、法を社会を組織化する用具として用いるさまざまな仕方ー規範を使うことーとそれに関連する能力から構成されています.そしてその方法や能力には、「通常性」というものが深く浸透しているということが、エスノメソドロジーの根源的な洞察です.誰もが観察して参与できる「通常性」とのかかわりに着目して、したがってきわめて経験的に、専門職やその能力にかかわる解明をめざそうとするところにその特色があると言えるでしょう.

写真:夏の終わりの神戸の夜景.

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